福岡高等裁判所 昭和45年(ネ)649号 判決 1972年7月24日
控訴人(選定当事者) 山口禎一
同 山口菊雄
同 田渕誓一
右控訴人ら訴訟代理人弁護士 安田幹太
同 安田弘
右控訴人山口菊雄、同田渕誓一 両名訴訟代理人弁護士 馬場眷介
被控訴人 山口修
同 河野高子
右被控訴人ら訴訟代理人弁護士 清川明
主文
原判決を取り消す。
別紙物件目録(一)および(二)記載のため池はいずれも控訴人らおよび別紙選定者目録記載の選定者らの共有であることを確認する。
被控訴人河野高子は右目録(一)記載のため池につき、被控訴人山口修は同目録(二)記載のため池につき、いずれも控訴人らおよび右選定者目録記載の選定者らに対し所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、本訴選定者らおよび控訴人らが本件(一)、(二)のため池の水下に水田を所有する、いわゆる水下農民であることは、当事者間に争いがない。
二、(1) 控訴人らは、右ため池は明暦年間に控訴人らの先祖にあたる田渕ら七家の入植者が協力して築造したものであると主張するので、この点について判断する。
≪証拠省略≫により控訴人らの菩提寺である是心寺に保存されていると認められる古文書によれば、慶安三年(一、六五〇年)に播磨赤穂の住人であった田渕、山口、前川、遠藤、杠、嘉月、原の七家が、同郷の尾崎、船越両家を頼って肥前平戸に来住し、天竺、震丹、摩迦陀國に渡航して異國の珍品を藩主に献上し、松浦鎮信公の信任を受けて肥之浦塩田および沖之島薪用地を拝領したこと、その後右七家の者は一〇年余の後、塩田を改め塩止め堤防を構築して小土肥之浦に開田を図ったが、水不足のため平戸普請奉行の援助を受けてさらに堤を構築することとなり、三年の歳月を経て元禄一一年(一、六九八年)にこれを完成した旨記載されている。
これを現地の状況に照らして考えてみるに、≪証拠省略≫を総合すると、右古文書にいう塩止め堤防は、旧日野川の下流にある小島と水の戸神社とをほぼ東西に結んだ直線の位置に存在していたものであり、この堤防によって海水の流入を防ぎ開発しようとした新田というのは、付近の地勢から判断すれば、現在旧日野川に沿って開拓されている本件水下農民所有の日野本谷の田地を指し、これを灌漑するために構築された堤というのは、水利の関係上旧日野川に沿った本件(一)、(二)のため池およびその上段に位置する通称三角の破れ堤を指すものであると認められる。したがって、右古文書の記載は現地の状況と符合するので真実を伝えているものというべく、本件(一)、(二)のため池は元禄一一年に前記七家の協力によって築造されたものと認めるのが相当である。
そして、≪証拠省略≫によれば、明治三〇年(一、八九七年)に日野部落の代表者が前記是心寺において日野先祖二〇〇年忌法要を行ったことが認められるが、この年が前記ため池の完成した元禄一一年から丁度二〇〇年目にあたることを併せ考えれば、前記七家の後裔は代々日野地区に定着し、右ため池を共同して支配利用しいわゆる水下農民として農耕を営んできたものと推認することができる。
(2) もっとも江戸時代における本件ため池の具体的支配、利用関係については、これを確認するに足る資料はないが、≪証拠省略≫を総合すれば、いわゆる水下農民らは先祖の伝承によって本件(一)、(二)のため池が自分たちの共有であると信じ、いつの時代からかは判然としないが、水下農民の総体を水下組合と称し、共同して右ため池および前記三角の破れ堤ならびにこれを付帯する水利諸施設を支配し、その用水を水下水田の灌漑に利用してきたこと、そして、水下農民は、水下組合の規制のもとに各自修理費、水番費等各種の費用を負担し、あるいは種々の賦役に服して、右ため池その他水利施設の修理、改修、維持管理に当ってきたこと、水下農民は、水下水田の所有権を喪失することにより水下組合の構成員たる地位、したがって、また、ため池に対する権利を喪い、他方、新たに水下水田の所有権を取得したものは、これによって当然に水下組合の構成員となると共に右ため池に対する権利を取得すること、以上のような慣行が現在に至るまで存在することを認めることができる。
(3) 以上(1)、(2)の事実によれば、右水下組合は構成員たる水下農民から独立した権利主体ではなく、農民が個人としての地位を失わずにその集合体がそのまま単一体としての団体を構成していたもので、個人と団体とが不可分の一体をなす綜合的団体であったものと認められ、前記ため池および用水に関する権利は右水下組合員の総有的支配に属し、その性質は入会団体員の入会地に対する総有的支配に類似したものと考えられる。したがって、水下農民はこのような団体関係において本件(一)、(二)のため池および用水に対し共有の性質を有する入会権類似の権利を有するものと解するのが相当であるから、現在水下農民の地位を承継している本訴選定者全員および控訴人らは本件(一)、(二)のため池を共有(総有)しているものといわなければならない。
なお、≪証拠省略≫によれば、昭和五年七月七日、水下農民らが長崎県知事の許可を得て日野岡耕地整理組合を設立し、右農民らの所有する田および右ため池がその施行地区に編入されたこと、昭和二六年四月一〇日右耕地整理組合は法定の手続を経て組織を変更し、日野土地改良区となっていることが認められるが、このことによって水下農民が古来から有する前記ため池の所有権が当然に消滅したり、あるいは右各法人に移転するいわれはないから、右各法人の設立は控訴人らの前記ため池所有権取得の認定を何ら妨げるものではない。
三、被控訴人らは本件(一)、(二)のため池は被控訴人らの先祖にあたる山口平太夫およびその子山口平左衛門が協力して築造し平左衛門が所有して来たものであると主張するが、≪証拠省略≫中右主張に副う部分は前顕各証拠に対比して措信し難く、他に右事実を肯認するに足る確証はない。
もっとも、土地台帳には本件(一)のため池は被控訴人河野高子の祖父田渕利平、本件(二)のため池は被控訴人山口修の曽祖父山口真平がそれぞれ所有者として登録されていることは当事者間に争いがないので、右ため池は一応同人らの所有に属することが推定されないわけではない。
しかしながら、≪証拠省略≫によれば前記三角の破れ堤も水下農民の共有であったが、登記簿上は山口庄治の個人所有名義になっていたため、大正三年頃同人がこれを山辺倉一郎に売却しようとしたのを、山口真平の弟で当時日野部落の惣代であった山口幸四郎が発見して右売買を差し止め、惣代会を開いて今後かかる事態の発生を避けるため、信頼のおける水下農民山口米四郎名義に登記を変更したこと、ところが米四郎の子山口直逸が昭和一三年頃同人所有の田を朝村美好に売却した際、右ため池も誤って朝村名義に移転登記されたので直逸は永年に亘ってその返還を交渉し、昭和二一年にようやく登記を直逸名義に戻したこと、しかし右ため池は漏水してその効用を失ったため、結局昭和三八年にはこれを他に売却し、その代金を水下農民において分配したこと、その他この地方には土地台帳あるいは不動産登記簿上には個人所有名義で登録あるいは登記されているが、実質はその水下の農民の共有に属するため池が散在していることが認められ、さらにまた水利権者とため池地盤所有権者が異なる場合には、水利権者は慣行的に用水利用に対する反対給付として地盤所有権者に対し、謝礼的あるいは賃借料的性格を有する何らかの給付をなすのが通例であるが本件においては水下農民は山口真平、田渕利平に対しかかる反対給付をしていないことは被控訴人らの自認するところであり、以上の事実に、すでに認定した本件(一)、(二)のため池に対する水下農民の永年に亘る支配慣行とを総合勘案すれば、明治初年地租改正の当時、政府が地券発行の際に、当時右ため池の水下付近にかなりの広範囲に亘って水田を所有し土地の有力者であった山口真平、田渕利平(この点は≪証拠省略≫によって認められる。)に対し、水下農民の代表者として右ため池の地券が発行され、その後これに基づいて土地台帳に右両名名義の登録がなされたものと推認することができるから、右土地台帳の登録をもって本件(一)、(二)のため池が水下農民の共有に属する旨の前記認定を覆すことはできない。
また、≪証拠省略≫によると、昭和五年四月二三日前記日野岡耕地整理組合の設立認可申請にあたり、申請書に本件(一)のため池の所有者として田渕利平の相続人田渕利重郎、本件(二)のため池の所有者として山口真平の相続人山口ヤエの名前が記載され、その同意書には山口ヤエの署名押印がなされていることが認められるが、これも前述のとおり、右ため池が土地台帳上山口真平、田渕利平の個人名義で登録されていた関係で、形式上その相続人名義によって右設立認可申請をしたにすぎないものと解されるから、右事実をもってしても前記認定を左右するに足りない。
四、そして、≪証拠省略≫によれば、前述のとおり山口真平、田渕利平は水下農民の一員として本件(一)、(二)のため池を共有していたものであるが、右両名はともに飲酒、遊興に耽って財産を蕩尽し、一代の間にそれぞれ所有田地を全部売払ったため水下農民としての地位を喪失したことが認められ、その後その子孫である被控訴人らにおいて右ため池の水下に水田を取得して水下農民となったことを認めるに足る証拠もない。
したがって、本件(一)、(二)のため池が水下農民の総体である水下組合の総有的支配のもとに水下農民の共有に属するものである以上、山口真平、田渕利平は水下農民の地位を喪失したことによって右ため池に対する権利を失ったものであり、その相続人である被控訴人らも右ため池に対しては何らの権利を有しないといわなければならない。
そして、現在本件(一)のため池については被控訴人河野高子が本件(二)のため池については被控訴人山口修がそれぞれ自己名義に所有権保存登記を経由していることは当事者間に争いがないので、右被控訴人らは実体に符合しない右各登記を抹消すべき義務があること明らかである。
してみれば、被控訴人らに対し、本件(一)、(二)のため池の所有権確認および前記各所有権保存登記の抹消登記手続にかえて所有権移転登記手続をなすことを求める控訴人らの本訴請求は、すべて理由があり、認容すべきものである。
以上と趣旨を異にして控訴人らの本訴請求を棄却した原判決は失当であるからこれを取り消し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 矢頭直哉 裁判官 藤島利行 前田一昭)
<以下省略>